日本雨漏り修理専門119 エクステリアワーク・SKY

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愛知県・岐阜県

0120-883-849
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日本雨漏り修理専門119 エクステリアワーク・SKY

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会社案内

会社概要

社名 有限会社 エクステリアワーク・SKY
住所 【本社】
〒509-5142 岐阜県土岐市泉町久尻25-12
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〒467-0056 愛知県名古屋市瑞穂区白砂町3-24-1
TEL/FAX TEL:0120-8838-49 / FAX:0572-55-7107
資本金 300万円
役員 代表取締役 山口 将亘
メールアドレス sky@amamori119-aichi.jp
所属団体 日本雨漏り修理専門119
全国板金工業組合 岐阜県支部

代表プロフィール

1971年 土岐市生まれ

1988年 地元の板金屋さんに弟子入り

1995年 親方に勧められ独立開業 / 社名スカイ板金工業

2003年 有限会社設立 / 社名エクステリアワーク・SKY /大手ハウスメーカ、アパートメーカーとの取引を開始

2011年 WEB集客によるリフォーム元請け業 / 『雨漏り修理専門119』事業を開始

2013年『屋根リフォームで失敗しない市民講座』を開始 / 講師として、愛知、岐阜県の各地で毎月開催中

2015年 ↓CBCテレビ夕方の「イッポウ」の取材を受ける。ぜひご覧ください!

山口のプロフィール

氏名 / 山口将亘 (やまぐちまさのぶ)
生年月日 / 昭和46年5月12日
血液型 / A型

心がけていること

職人になって30年お客様の笑顔がもらえる仕事人でありたい!!

生い立ち

僕は昭和46年5月12日岐阜県の土岐市駄知町に父一昭、母真由美の長男として生まれました。

幼少期の思い出といえば保育園でのできごと。

膜の貼った牛乳が毎日出て、給食の時間が終わっても飲み終わるまで座らせられたまま遊びにいけない‥‥そんな記憶が有ります。

それが原因で牛乳が大嫌い!で、大人になった今でも飲めません(笑)
小学校では成績も普通で学級委員や生徒会などもやっていました。

運動が好きで運動会シーズンには地区対抗リレーの選手に毎年選ばれていました。

中学校ではバスケットボール部に入り3年間真面目に取り組みました。

1・2年の頃は先輩が厳しく生傷が耐えない日々でした。
1年生では成績も普通でした。2年生から少しずつ道がそれだしてきたかな?

3年生になると先輩も居ないし、かなり好き勝手な学校生活を送っていたと思います‥‥

その後高校へ進学

在学中に人生について色々と自分なりに考えて悩みましたが‥‥両親に了解をもらい一年で卒業しました。

さて、ここから僕の職人人生が始まりました!

子供の頃の夢

物ごごろついた頃から僕の好きなもの、それは車です!

今でも子供の買い物に行った時に買っちゃいます(笑)
特にトミカのミニカー!これが超合金のロボットよりも何より大好きでした。
当時はスーパーカーブームでランボルギーニカウンタック、ミウラ、フェラーリ512BB、デトマソパンテーラなどなど‥‥

なかでも僕が1番好きな車種はランボルギーニカウンタックです!
ドアがガルウイングと言って空に向かって開くやつです。

名古屋の吹上ホール、多治見のユニーなどで当時行われていたスーパーカーショーに、弟と2人母親によく連れて行って貰っていた事もしっかりと覚えています。

大人になったらカウンタックに乗ろう!
これが僕の子供の頃からの夢です!

職人への道

高校に通っているころにこのままこの高校で勉強して卒業して‥と自分の将来を考えてみるといまいちピンときませんでした。

「ランボルギーニカウンタックに乗るなんて絶対に無理だわ・・・」

このままでは夢を叶える事は無理だと思い親に話して高校を辞めようと決心し、1年生の3月で卒業しました。

さて 辞めたはいいが何をしよう‥‥??

先ずは仕事するにしても通えないでは困るので原付の免許証を取りに行きました。

次は仕事探し

工場⇒毎日代わり映えせず退屈になり直ぐに辞めました。
次は型枠大工⇒朝が早いし、ずーと一日中物を運びクタクタ。
ついでに給料が安かったのでまた辞めました。

中々しっくりくる仕事がなくて‥‥

そこで初めて職安に行きました。
すると隣町で板金屋さんの求人が有りました。

車好きな僕は「板金と言えば自動車板金」となぜか勝手に思い込み面接に行きました。

よし車の免許証を取ったら自分で車がかまえる!‥‥と夢いっぱいで伺いました。
優しそうな社長様で、日当も6500円~ 頑張り次第で直ぐにでも日当はUPする!

「頑張り次第で」というのが僕に向いてる!明日からでも頑張らせて頂きます!

夢いっぱいで翌日に出勤。
到着して工場を見渡すと「あれ車が無い?」

社長のお兄さんと一緒に車に乗って行ってと言われ‥‥
「ああ工場が別の場所でここは社長の自宅か?」

とまたまた勝手に思い込み。
車に乗り込み出発。

高速を走る事1時間着いた先が江南市でした。

あれ?また見渡しても車が無い!

お兄さんに訊ねました「車は何処に有りますか?」と
すると‥‥「うちは自動車板金じゃなく、建築板金の会社だ」

「えっ‥‥建築板金って‥‥何ですか?」

例えば、今日の現場は屋根を貼る仕事だとか?
見ると平屋の赤い鉄骨構造の建物が有りました。

「えぇーーっっ!」

これが僕の職人人生の第一歩。
今思えば勘違いから始まりました。

この日から4年間無遅刻無欠勤で気合で仕事に望みました。

当時の日本はバブル経済で仕事は幾らでもある時代で毎日毎日黙々と働きました。

当時の近い目標(夢)は成人式にこの地域で一番高い車を自分の働いたお金で買って会場に乗り付けること。

この為に全力投球で仕事をし、そして無事第一段階の夢は達成しました。

次の目標は20代で独立する!

これが入社当時からのこの会社での最終目標でした!
車の免許証を取ったら直ぐに社長が新車のトラックを買い与えてくれ、若い従業員も僕が後輩を連れて来たりで知らないうちに番頭になっていました。

僕よりも3歳下の社長の息子さんも高校卒業後一旦は他所に就職しましたが、実家が忙しいからと半年もしないうちに僕の下で働くようになりました!

今でももう一人の弟のように可愛がって居ます。

そして阪神淡路大震災の年に夕方社長に事務所に呼ばれました。
突然だけど今月末で退職して独立してくれと。

びっくりしましたが「お前なら独立してもやって行けるから大丈夫だ。」と‥‥
退職金も出すからこれで道具とトラックを買えと言われるものの、突然過ぎるし世間ではまだ子供。

親も「何を言っとるの何処かに勤めに行きなさい!」

でもこの時が人生の転機だったと思います。

社会に出てから本当の両親の様に信頼していた社長(親方)が「やれる!」と言ってくださった言葉を信じて修行から突然の独立、創業です!

創業~現在

平成7年1月

「スカイ板金工業」という屋号で個人創業しました。
今までの人生でこの時が一番将来が不安でいろろ考えた時期でした。

しかし仕事をやれるという自信は有りました。
道具もない車も無い挙げ句の果てにはお客様も全く無い!

自分と親方の一言を信じて頑張りました。

しかし板金仕事だけでは毎日の仕事が無く、土木工事を経営していた友達の家でアルバイトさせてもらったり、屋根に登れるからというころで友達がやっていた太陽熱温水器の取付工事でもバイトで使って貰い、何とか生活をしていました。

修行の時は官庁や工場、店舗、マンションなど大型の物件工事をして来ましたが、個人で大型物件の受注は難しいと思い春日井市の住宅がメインの板金屋さんに数年お手伝いで行き住宅の板金を学びました。

当時は他の板金屋さんより若いというだけでお金も無い、信用も無い時期でした。

しかし若いからなのか自信とハングリー精神だけは有りました!

そして徐々にですが、知り合いの大工さん友達の紹介などなど2~3年で何とか板金仕事だけで生活出来るようになりました。

そうなるとまた更に上を目指したくなる僕です。

何をやれば元請けさんに喜んで貰えるのか(仕事が貰えるのか)を考えに考えて‥‥

出した答えが「総合の外装工事屋さん」です。
スカイで屋根、外壁、板金、樋工事を全て施工できたらいいなと‥‥

新築で上棟して外部足場解体までも一社で施工したら 元請けさんは打ち合わせ、業者間の段取りもしなくて済む!これだ!と思いました。

知り合いの紹介でアイフルホームで屋根工事がスタート。

足場解体前の樋工事までを一括で請負うことが出来るようになりました。

社員も増員して、売り上げも倍増して行きました。

地元の工務店、アパートメーカーでも同じ取り組みで業務の拡大に成功しました。

しかし創業して10年を過ぎた頃世の中の景気の低迷に影響されまして、大口の取引先から値引きを迫られ撤退したりこちらからお断りしたりと、どんどん売り上げが落ちて行きました。

当時は無借金経営でしたので人生で2回めの岐路です。

社員に辞めて貰い廃業するかまで考えました。

しかし今まで社員やお客様に支えて貰ってここまで来たことを考えると‥‥

個人の貯金を叩き銀行から借金もして事業を継続する事に。

スカイが終われば僕の人生も終わりだし‥‥

開き直ってこれまたいろいろと考えました。

2002年からは先輩の勧めで土岐青年会議所に10年間所属し、ここでも沢山の出会いや学びがありました。

ここで学んだから会社も潰すこと無く今があるのかな?とも思います。

話は戻りますが、当時下請けで仕事をしていた僕ですが、自身が職人上がりの為にどうも元請けさんと考え方にズレが有るのを日々感じるようになりました。

具体的に言うと請負の金額が安く、クレームがお客様から来ない程度の仕上がりで良いから早い職人。

これが元請けさんにとって良い工事屋さんでした。

これが良い工事屋さん?

もっと言えば値引きにハイと返事してくれる工事屋さん。

自分達は下請けの支払いを何割もカットして、決算を見れば増収、増益。
違うでしょ!
元請けハウスメーカーの金儲けの道具にされるのは嫌になりました。

やはりお客様の夢のマイホーム事務所や工場を建設するのに、僕達が工事屋として 職人としてお客様の夢を形にする事。

これが 僕の一番成りたい工事屋さんの姿です。

ならば、元請けで仕事をすれば嫌な思いをしなくていいから‥‥これだ!
さて、どうやって営業して行く?

やった事が無いのでまたまた悩み、考えたのは「僕が工事屋として出来る事はなんだ?」ということ。

そして、雨漏りで困っている人達を自分達の技術で救おう!そして喜んでもらおう!
というわけで現在の業務体系になりました。

お客様の笑顔がもらえる仕事人でありたい!

これが私山口の想いです。

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